ふりかえってみると、マーガレット・サッチャーは良くも悪くも破壊者だった。
もうあかんくなった古いシステムを延命させようと頭のわるい努力を続けていた男共を蹴散らして、錆びた企業管理システム、朽ち果てた教育制度、なかんずく、幹のなかが空洞化されて虚ろになっていた社会保障システムを、彼女は容赦なく叩き壊して歩いた。
自分のまわりの利権や利権にたかる有権者への媚びから「協議」「調整」を口にする男共を軽蔑しきったように、この首相はこう述べている。
「To me, consensus seems to be the process of abandoning all beliefs, principles, values and policies. So it is something in which no one believes and to which no one objects. 」
バカの話し合いはやすむに似たり、と述べる。
アメリカ合衆国では、政治のことはよくわかんねーけど、きみたちを笑わすジョークではおれのほうがうまいんだぜ、なレーガンが、古くさいシステムをバンバン壊して歩きます。
レーガン大統領に異議を唱える学者はたくさんいたが、レーガンという人はそんな研究者がくだくだしく述べる「あるべき政府の姿」がわかるほど頭がよくなかった。
なんだか、よくわかんねーけど、うるせーやつだなあーと呟きながら、どんどんがんがん旧制度をぶちこわしてまわりました。
きっと、「国家」なんてエラソーな顔してても現実はおれがむかし仕事をしてたハリウッドの書き割りみてーなこけおどしだろう、と真実を見破っていたのかもしれません。
このふたりを呪詛する声をうわまわる大きな賞賛の声がいまでも存在するが、それはふたりが信じた「完璧に破壊すれば新しい芽が必ず芽生えて育つ」という信念が現実のものになったからで、よく考えてみると、信念が現実にならなかったら、どーするつもりだったんだろー、と思うが、もうちょっと先も考えてみると、破壊しなければ今度は未来はゼロだったので、やっぱり正しいともゆえるか、と思う。
The Iron Lady « ガメ・オベールの日本語練習帳v_大庭亀夫の休日 (via ginzuna)